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日本人に身近な梅干、しかし、意外と知らない梅干。
梅干に関する情報です。


歴史
 奈良時代、中国より伝来されたと言われており、万葉集にも梅の花が多く詠われている。また、髄・唐時代の医薬書から引用された日本最古の医学書「医心方」に、梅干の効用が記載されているところから、医薬としての梅干であったようである。
 戦国時代、喉の渇きを癒す、疲れを取る、殺菌効果のため、戦時の携帯食として梅干が重宝されたとある(雑兵物語より)。
 江戸時代に入り、梅干は庶民にも広がり、紀州藩の梅干が「田辺印」として好評を呼び、田辺港から江戸へ樽詰めの梅干が出荷され、庶民の梅干需要が高まっていく。梅干の民間療法も広がり、水虫に梅干(和方一万方)、腸炎には、青梅の搾り汁(諸国古伝秘方)、出血に梅干の黒焼(経験千万)、解熱効果、下痢止め(古方薬議)など、主に、殺菌作用、内臓調整の効能が各書物に記載される。 また、「花壇綱目」「本朝食鑑」「農業全書」には、梅の品種や梅干作りのことについての記載もされ、その方面の研究も進む。
 明治時代、徴兵令施行とともに、梅干の需要はさらに高まり、日清、日露戦争で、軍需品として重宝される。「日の丸弁当」という言葉はこの頃生まれたようである。また、尋常小学校の教科書に「梅干の歌」が記載され、国家と梅干、庶民と梅干の密接な関係が伺える。
 この頃から、みなべ地方での梅栽培が盛んとなり、現在の梅作りの基礎となる。
 昭和に入り、日中戦争勃発、梅干の需要はさらに高まる。
 戦後、「南高梅」が、優良母樹として選定され、昭和40年に、農林省に、種苗登録される。

梅干作りの一年

<開花> (1月下旬〜3月上旬)

 真っ白な南高梅が一面に咲き乱れるこの季節、梅干作りの1年がスタートします。
 南高梅は自家受粉ができず、ミツバチの活動によって受粉します。しかし、ミツバチが飛んでくれる条件は難しく、気候・温度・風などに左右されるので、開花時期の自然環境がその年の受粉の割合を決定し、作柄に影響します。


<結実・収穫> (6月)

 花が散り、ミツバチによって受粉した小さな実が暖かくなるにつれ、段々と大きくなり、実に紅を差すようになると、収穫期を迎えます。
 青梅として出荷される梅は、枝から直接、丁寧に手もぎし収穫します。収穫後の青梅は、各農家で等級、サイズ別に選別され、箱詰めして梅酒用などに出荷されます。
 一方、梅干にする梅は、落ち梅を収穫し、品質チェック後、サイズ別に分けられ、すぐに漬け込まれます。南高梅の「果肉が厚く柔らかい」という特徴を活かした梅干にするには、完熟した梅を漬け込むこと。そのため、枝で充分に熟し、自然落下した落ち梅を漬け込むことが重要になります。枝の生い茂った梅の木の下での作業は、身をかがめた状態で行うため、大変重労働です。これが梅雨の雨の中、傾斜地、など、悪条件が揃うとさらに重労働です。生産者のこのような努力により、柔らかい梅干が仕上がるのです。




<漬け込み> (6月)

 収穫された青梅は、そのまますぐに漬け込まれます。漬槽に梅、塩を交互に入れ、いっぱいになるとふたを乗せて重しをし、1ヶ月以上寝かせます。やがて、梅の実から梅酢があふれ出し美しい梅干が漬け上がります。



<土用干し> (8月)

 漬け上がった梅干は、漬槽から出され、天日干しされます。一粒一粒、重ならないようにセイロに並べ、3〜5日程度、干されます。この作業は、まんべんなく乾かすために裏返す作業をします。真夏のきつい日差しを受けて、梅干は美味しくなるのですが、酷暑の中の梅干をひっくり返す作業は大変なものです。干し上がった梅干は、等級、サイズ別に分けられ、樽詰めされます。



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